平城京天平祭の御朱印集め-平城京・藤原京・飛鳥京

2018-10-21散歩天平祭, 御朱印

去年のみつきうまし祭で、平城宮跡の御朱印をいただいてから、
他の2都の御朱印をいただくため、待っていました。
あれから約1年。

2018年10月20・21日。
平城宮跡を中心に、みつきうまし祭り~平城京天平祭・秋~が開催されました。

2018年の御朱印帳は?

2018年の御朱印帳はどんなものになるのか、
去年のものがまだ一杯になっていないのだけど…と思っていたら、
今年は新調されず、去年と同じものがまた販売されることになりました。

少し残念というか、一安心というか、複雑な思いです。

どんな御朱印帳かは、下記の記事を参考にしていただければと思います。

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3都(飛鳥京・藤原京・平城京)の御朱印

今年は、飛鳥京と藤原京のものをいただいてきました。

これで、昨年の平城京と合わせて、3都の御朱印が揃いました。

飛鳥京の御朱印の文言の由来

【浄御原宮】(きよみはらのみや)

天武天皇の宮殿が『(飛鳥)浄御原宮』と呼ばれています。

【宮都 飛鳥】

宮都とは、
宮=天皇の住まい(宮殿)
都=宮殿を中心に周辺に形成された地域(都市)
のことです。

飛鳥は、藤原京・平城京のような整然とした都ではありませんでした。
そこで、飛鳥の宮殿と都市部を総称して、『宮都』と表現しています。

朱印【キトラ古墳天文図】

7世紀後半から8世紀初頭(天武・持統天皇の時代頃)に築かれた、キトラ古墳の石室内にある壁画の、天井部分に描かれている天文図です。
現存する、東アジア最古の本格的な天文図と言われています。

飛鳥京の御朱印は石舞台古墳の近くで

今年の飛鳥京の御朱印は、石舞台古墳の近くの
【あすか風舞台】でいただきました。

藤原京の御朱印の文言の由来

【新益京】(あらましのみやこ)

「藤原京」という呼称は、『日本書紀』に、当時の天皇の居所が「藤原宮」と記述されていることから、明治時代以降につけられたものです。

694年に、飛鳥から遷都し、
710年に、平城京に遷都するまでの16年間、
3代の天皇(持統、文武、元明)の都であった地は、
『日本書紀』によれば、新たに作られた京という意味で「新益京(あらましのみやこ)」と記述されていました。

【文物之儀 於是備矣】(文物の儀ここに備われり)

『続日本紀』、大宝元年(701年)正月の記事の一節です。

文武天皇のもと、大宝律令が制定されたことにより、法律や制度が整い、律令国家律令国家としての日本という国が誕生したことを示しています。

藤原京の時代に、日本という国の制度の基礎が整った、
藤原京はいわば日本国のはじまりの地である、という意味が込められています。

朱印【藤原宮跡】

平城宮跡で用いられているものと同じ宝珠を意匠化したものです。

藤原京から平城京への遷都では、
藤原京で使用されていた建築材なども平城京へ移され、再利用された史実があります。

このことから、平城京と藤原京のつながりを示すため、平城京と同様のデザインのご朱印としています。

藤原京跡

秋の藤原京跡には、広大なコスモス畑が広がっています。

道路をはさんで、
持統天皇の万葉歌碑がありました。

『春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山』
(春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山)

有名な歌ですね。


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